明治5年、北海道開拓史によって札幌市の円山より石材が切り出されましたが、街造りの景観上の理由により中止。  
明治6年、本格的な生産は「藻岩」地区の硬石山・石山から、街造りのための建材向けに石材として切り出したのが始まりです。

明治12年、豊平館の建設(基礎石・階段石・柱台座・煙突・道路縁石等)

明治21年、北海道庁の赤レンガ庁舎、小樽運河沿いの倉庫群等の都市造りに本格的に使用される。

硬石山の石(石英安山岩)は硬石として石造り建造物の土台石に、また豊平川を挟んで対岸に位置する石山の石(熔結凝灰岩)は軟石として建築材料に広く使用された。


明治42年、札幌の中心部と「硬石山・石山」との間に馬車鉄道(馬鉄)が敷設去れて大量に砕石が運搬されるに至る。

昭和20年、敗戦後にアメリカ軍が進駐し真駒内基地の道路建設にクラッシャーによる砕石生産が本格的に行われる。
昭和33年頃まで北海道は河川砂利が豊富だったこともあり、砕石としてより切石、間知石、割栗石等の石材の割合が大きかった。

昭和35年頃、河川流域保護のため、砂利採取が規制がされるようになった。砕石が鉄道用バラストとして指定を受ける。

昭和47年、札幌オリンピックに伴う社会基盤整備時に砕石需要は活発化し、公共工事の拡大につれ砕石需要が伸びる。

 中山峠                      北海道大学表通り

平成5年  北海道南西沖地震が発生し、多くの犠牲者と大規模な被害を受けその復興のため、砕骨材を使用した道路・河川・港湾等の復旧工事が行なわれました。
国道5号線 復旧工事前と後
砕石需要のうち8割弱を砕骨材が占め採石業者の7割が砕骨材採取業となりました。

平成12年、有珠山噴火による災害に見舞われ、洞爺湖温泉街や国道230号線・453号線・JR室蘭本線の復旧が砕骨材を使用して行なわれました。


平成15年、8月の台風第10号は8日朝に発生した低気圧の影響で日高・十勝・釧路地方では150mm以上の雨量となり、とくに日高地方では9日21時には集中的な豪雨(平取1時間当たり75mm)見舞われ降り始めから積算雨量は400mm近くを記録した。この台風により河川・砂防施設・道路橋梁・林地林道等に多くの被害をもたらした。
 9月26日釧路沖でマグニチュード8.0の十勝沖地震が発生、胆振・日高・十勝・釧路地方に震度5以上の揺れをもたらした。8月の台風で地盤が緩んでいたところに大型の地震で路面の亀裂・路肩崩壊など土木工事・林業水産業関係に打撃を与え、苫小牧市の出光興産鰍フ製油タンクの2度の出火火災など大きな爪あとを残した。
これから本格的な災害復旧工事が行なわれる事となっています。

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